知る権利があると言うこと・・・その2
同条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」とあります。
集会も、言論も、思想も、何もかもがしばられて、結局は、天皇制や軍部の言いなりになって戦争に協力してきた暗い過去の歴史を反省する、重々しい、かつ、かけがえのない、条文です。
そのような歴史的な経過があるために、ここで保障される「表現の自由」は、新聞やラジオ、テレビなどの放送、雑誌や本などの出版が活字にしたり、放送したりするときに、だれからも干渉されない自由として考えられてきました。
ところで、それらのマスコミが表現、つまり報道するためには、その前に表現するものを集める自由、どこにどんなものや情報があるかを知る自由がなければなりません。
つまり表現することと、知ることは、コインの裏と表で、一体のものであり、表現の自由が保障されていることは、同時に知る自由、知る権利が保障されていることであるーという論理が、戦後ずっと、とくにマスコミの中で定着していたのです。