知る権利があると言うこと・・・その3

永い間、新聞記者たち、マスコミ人の多くは、表現の自由は、マスコミのためにあり、その裏付けとなるべき「知る自由、知る権利」もマスコミ専用だと考えてきたフシがあります。

少なくとも、そう思いこんでいた方は多いのではないでしょうか。

表現の自由や知る権利がマスコミ専用ではなく、本来国民一人一人にあって、マスコミはそれに奉仕すべき存在である、と理解したのでした。

昭和四十七年の沖縄密約漏洩事件(外務省機密漏洩事件)。

この事件はとある記者がひきおこし、当時毎日新聞の「知る権利キャンペーン」の担当者としてある記者が、連日、朝刊、夕刊と奨なる紙面を作ったそうです。

そのころすでに、アメリカでは、国民の「知る権利」の一環としての情報畠法が制度化されて六年を経ていたし、前年の一九七一年の六月にはニューヨークタイムスが、米政府のベトナム介入の秘密の数々を記録した「国防総省秘密報告書」をのせて、同国民の知る権利とそれに奉仕する新聞社に凱歌があがっていたそうです。

その経過などを調べているうちに国民天天の知る権利の存在とそれに奉仕するマスコミの立場を思い知らされたのでした。

知る権利があると言うこと・・・その2

同条には「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」とあります。

集会も、言論も、思想も、何もかもがしばられて、結局は、天皇制や軍部の言いなりになって戦争に協力してきた暗い過去の歴史を反省する、重々しい、かつ、かけがえのない、条文です。

そのような歴史的な経過があるために、ここで保障される「表現の自由」は、新聞やラジオ、テレビなどの放送、雑誌や本などの出版が活字にしたり、放送したりするときに、だれからも干渉されない自由として考えられてきました。

ところで、それらのマスコミが表現、つまり報道するためには、その前に表現するものを集める自由、どこにどんなものや情報があるかを知る自由がなければなりません。

つまり表現することと、知ることは、コインの裏と表で、一体のものであり、表現の自由が保障されていることは、同時に知る自由、知る権利が保障されていることであるーという論理が、戦後ずっと、とくにマスコミの中で定着していたのです。

知る権利があると言うこと・・・その1

今回は真面目に語ります!

いや、いつも真面目ですが・・・・。


「知る権利」とマスコミの「奉仕」日本国憲法の条文の中に「知る権利」という言葉はありませんが、護られるべき国民の基本的人権として、その権利がうたいこまれていることは、学界でも法曹界でもほぼ定説となっています。

ただ、その権利を使って、国民が役所へ出かけて「さあ、出せ」と公文書の閲覧を請求できるか、というと、それは疑問で、そこまで実体的に保障された権利ではないであろう、ということになっています。

そこで、その権利を目六体的に保障するための法律を国が作るのが一番いいのですが、国がグズグズしているので、シビレを切らした地方自治体が一足先に、それぞれの条例で制度化をはじめた、ということでした。

憲法上の国民-主馨たる市民たちーの「知る権利」は「主権在民」の憲法前文や、いろんな薬的人権の条項から読みとれるわけですが、今までは、主に三条の「表現の畠」の保障の中に内在するものとして論じられてきました。

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横浜~ブリキのおもちゃ博物館

館内に「古いおもちゃ買います」の張紙を見ますから、オーナーの収集はまだまだつづくようです。

ブリキのおもちゃ博物館は、山手散策の楽しいワンポイントになることでしょう。

おもちゃ博物館の裏手にはクリスマストイズがあり、一年じゅうクリスマス用のキャラクターグッズを展示販売しています。
隣接するトイズガレージではオリジナルデザインのTシャツなどを並べて、ここも若ものたちの姿が絶えません。

おもちゃで人気といえば今だとフィギアとかになってくるんでしょうが、昔からのおもちゃというのは思いいれもあるので懐かしくて行く人、新たにこういったものがあるんだと受け入れる人でにぎやかな場所みたいです。

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横浜 ブリキのおもちゃ博物館

山手資料館近くの坂道を下ったところに、ブリキのおもちゃ博物館があります。入口のトイズクラブはブリキのおもちゃとオリジナル小物を並べる、小さな売場で、博物館はこの奥にあります。

ここはおもちゃのコレクター、北原照久さんが収集した二万点に上るブリキ玩具の一部を公開したもので、東京原宿にも同一オーナーの博物館があります。

展示品は動物、自動車、馬車、飛行機、ロボット、ピエロからゴジラ、狼少年ケン、黄金バット、鉄腕アトム、鉄人28号、そしてチャップリンやフレッドアスティアといった、往年の人気俳優までと、時代を追って選ばれた質の高いものばかりです。

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横浜 ブリキのおもちゃ博物館

そして戦後の占領下には、米軍放出の空缶などを利用して、アメリカの子どもたちのためのブリキ玩具の生産がはじまりました。

このころ、すべての日本製品には「占領下の日本で作られたもの」というシールを張ることが義務付けられており、外貨獲得になったとはいえ、ここにも敗戦国日本のきびしい時代がありました。

昭和三十年代も後半に入ると、ブリキはプラスチックやすぐれた素材の合金にその座をゆずり、ブリキの玩具もまた、姿を消す運命に見舞われました。
ブリキおもちゃの盛衰にも、日本の歴史を見る思いがします。

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横浜 ブリキのおもちゃ博物館

外国製のブリキをみた日本の手先き器用のいかけ職人が、見よう見まねで作ったのが日本のブリキのおもちゃのはじまりだそうです。

明治の末ごろには、プレス機械やブリキ印刷機が輸入されて、色も鮮やかな日本製のブリキ製アイディア玩具が次々と売り出されました。

ことに一九一四年(大正三年)、第一次世界大戦がぼっ発すると、世界一のブリキ玩具生産国であったドイツの生産が止まり、これに変わって優れたブリキ玩具を作る日本製品が欧米市場を獲得、大いに外貨を稼ぎました。

ただその後は情勢不安によるブリキ玩具製造の中止、第二次世界大戦へとつづき、横浜だけでなく、日本全国の玩具業界は次第に不況に陥りました。

おすすめスポットです

横浜 ブリキのおもちゃ博物館

戦前の子どものおもちゃといえば、男の子にはブリキ製(オランダ語のBlik・光る板)のゼンマイ仕掛けのおもちゃ、女の子にはセルロイドのお人形などが代表的なものでした。

いまは手巻きのゼンマイ仕掛けは電池に変わり、ブリキやセルロイドはプラスチックになって、言葉の意味を知らない世代も多くなりました。

文明開化の明治初期、外国製のブリキのおもちゃを目にするようになりました。このころ日本ではブリキといえばまだ貴重品でしたから、これでおもちゃを作るなどとは考えられないことでした。

ルービックキューブ

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これは昔から人気で定番ですが、まともにやったことがない。

この前DSのソフトでルービックキューブがあったんですが、
よく意味がわからなかったです。
攻略法の説明書もついてるみたいなので
それでならしてからやってスーピードをあげてみようかな?

出来たらかっこいいって意味でオシャレのカテゴリーに入れた。

珍しい~

世界の国旗カルタ

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国旗を知ると世界がわかるってことで世界の国旗がかるたになりました。
オリンピックやワールドカップ、ニュースなどでよく目にする国旗や、特徴あるデザインの国旗が48種類入っています。読み札の文章が国旗の特徴を表すので、かるたで遊びながら国旗が覚えられます。
世界194か国の国旗一覧&世界地図も入っています。

子供が食いつくかっていったら・・・微妙ですね。

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